宋の兵制は傭兵制であり <歴史・北栄・中国>

兵士は全て衣食住を政府から支給される職業軍人であった。

宋軍は大きく禁軍と廂軍に分かれる。禁軍は中央軍、廂軍は地方軍である。

唐末から五代にかけて藩鎮の持つ地方の軍事力は強大なものであった。

これら藩鎮の兵士たちは中央で事が起こった際に節度使を押し立てて皇帝とし、兵士がそのまま禁軍となった。こ

れを侍衛親軍と呼ぶ。この侍衛親軍は皇帝を擁立した功績から多くが驕慢になり、恩賞を約束されねば戦わない軍隊となり、軍内の老兵を整理することを許さなかった。

このような状態を驕兵と呼ぶ。

これに対して後周世宗は新たな禁軍である殿前軍を設置し、これを強化することで軍事力の強化と皇帝権の確立を狙った。

この殿前軍の長官である都点検であったのが太祖である。

太祖が即位すると節度使から兵権を剥奪し、残った兵士のうち強兵を引き抜いて禁軍に組み入れ、残った弱兵たちは廂軍として地方に残した。

廂軍は実戦兵力としてはまず使われず、兵糧の運搬や土木工事などに使われ、老齢になっても解雇されなかった。
update:2010年03月09日